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2011年7月14日木曜日

自分の仕事”広告”を再定義

2年前、台湾でその年の日本一の売り上げを誇る広告(TV-CM)プロデューサーと仕事をした。
その人の話を聞いて、自分が愛して疑わなかった広告という業界が、腐敗していることに愕然とした。
上海に戻って、広告というのは世の中の為になっているのか?という疑問がモクモクと頭の中で大きくなり、広告で金を稼いで旨いもの食べたり、うまい酒飲んだり、子供の養育費を払っていた自分がいやになった。
それは小学生からずーっとテレビにのめり込み、東京で7年、上海で11年やった自分の広告を全否定、自己否定することだった。
当時は本当につらっかた。信じていた神様が、実は嘘つきだったみたいな感覚だった。
でも広告を自分なりに定義した時に、広告はTVやラジオ、雑誌ができるはるか前、人類が文字を使いだした時代にまで遡るという結論に達した。
だって広告とは「広く告げる」ことだと分かったから。
広告を対象で考えていた自分に気が付いた。
広告を方法として捉えようと気が付いた。
医療に例えるなら、医療を対象でとらえる医者は、政治家や有名人、お金持ちの治療したことを
自慢する。それを自分の凄さだと思い、周りもそれを褒め称える。
田舎の小さな診療所で、農家のおばさんを助けても誰も褒めてくれない。
でも、それってやっぱりおかしい。広告も一緒だと思った。
その日から、正しいものを広く告げようと決心した。
もう一企業の利益の為に広告はしないと決めた。
そしてその「正しいもの」の定義を今日ある人の言葉の中から見つけた。
「他人が生きる意味を発見することを手伝う」ということ。
これを広く告げるもの中に埋め込んで行こうと思った。
朝からお酒飲んで歩いて会社来たから、少し酔っぱらったかな。